文章リハビリ

この世はクソファッキン  だけどこの世はAll you need is love. (映画と本と音楽の感想と雑記のブログ)

星降り山荘の殺人/倉知淳(1997)

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「デートに居酒屋を使うのは避けたほうがいいですね」

「星降り山荘の殺人」を読了。
閉ざされた別荘での殺人という、王道かつ僕が大好きなシチュエーションのミステリです。
先に記事をアップした「虚無への供物」の感想において、ミステリだからこそ登場人物の魅力が重要であると述べましたが、その点から考えると実に魅力に乏しい作品でした。
というのも、登場人物が皆どことなく記号的だと感じられたからです。いかにも、といった成金社長。いかにも、といった女作家。いかにも、といった可愛くて賢い女の子。これは作者の狙いなんでしょうか。探偵役とされる、スターウォッチャーなるタレントの男は面白く感じましたけど。
大仕掛けのトリックがわざとらしいくらい分かりやすく書かれている為、オチは「やっぱりか」という感じでした。

さて。この本の根幹を成す叙述トリックは、分かってしまった人が非常に多いのではないでしょうか?
そもそも普通に読んでいれば、どうやったのかは分からずとも、犯人になり得るのは1人しかいないのは何となく分かるし、その上で肝心の登場シーンを読めば真実は一目瞭然。
もっと言えば、探偵登場シーンにあんなに堂々とメタ的な文章を挟めば読んでる方は怪しみます。
それすらも作者から読者へのフェアな手がかりの1つということなのでしょうか?
もし、あのメタ文章が無ければ、問答無用でスターウォッチャーはただの容疑者の1人になります。事実としては確かにそうですが、読んでいる側からすれば逆にあの文章が無い方が、スターウォッチャーを探偵としてすんなり受けれて入れてしまい、真実を見抜くことが難しくなったかもしれません。いや、でもその場合も結局普通にスターウォッチャーを疑うよなあ・・・。
それはさておき、「探偵役は決して犯人ではない」というのは、読者しか知らないミスリードであるはずなのに、なぜほとんどの登場人物がスターウォッチャーが探偵を務め、場を取り仕切ることに異を唱えなかったのかが不思議で、物語の出来として残念です。
そこまで大真面目に読んでいないのでアレですが、細かいトリックはとても丁寧に書かれていたように思います。