文章リハビリ

この世はクソファッキン  だけどこの世はAll you need is love. (映画と本と音楽の感想と雑記のブログ)

私がクマにキレた理由/シャリ・スプリンガー・バーマン&ロバート・プルチーニ(2007)

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なんか、実話っぽい。

 

Huluにアップされておりましたので、観ました。うーん、なんていうか、もう一歩って感じの作品ですね。

 

 

 

ざっくり言うと、日常から非日常の世界へ行き、帰ってくる話なわけで、まあそれはわりとやれていると思うんです。ただ、なんだか何もかもが弱い気がするんですよね。主人公(アニー)だからこそ、物語がこう動いた、とかあの少年(グレイヤー)だからこそ特別に親密になった、とかそういうのが弱いと思うんです。子守(ナニー)の仕事の実態を知っているわけではないので、的はずれかもしれないけれど、このお話ってどこの家庭でもそうじゃないの?と考えてしまう。アニーとグレイヤーだからこそ、このドラマが生まれたっていうのがどうにも弱い。ナニーとニューヨークの上流階級の家庭を揶揄する感じの作品で、それが狙いなのかもしれないけれど、とりあえず「どこでもこうじゃね?」ってのをまず感じてしまう。

それから、行って帰ってくるお話なのに、「何かを掴んで戻ってきた」という感触も弱いと思います。一夏をナニーとして過ごして、自分を見つけて戻ってきた、てな感じでまとめられてるんですけど、主人公は一体何を掴んだんでしょうか。人類学に興味があったのは元々で、金融界に自分がそぐわないのも元々わかっていたことでしょう。はっきり言って、ナニーとして過ごした事が、エンディングの一歩踏み出した主人公に繋がっている感が弱すぎると思うのです。結局主人公って、クビになったからあれもこれもぶちまけただけなんですよね。元の世界に戻ったのも、クビになったからなんですよね。どっちかって言うと、クビになる前に思うことをグレイヤーの両親に告げて、自分から去っていったほうが「何かを掴んで戻っていく・前に進んでいく」感じが出るし、グレイヤーとの別れにも哀愁が漂ったのではないかなぁ・・・。映画として面白くなるかはわからないですけど。観ていると実話を元にしたような作品?てな印象を受けたんですが、原作小説もそういうわけではないようですね。

 

でも、ナニーの行動を見張るために設置されたナニー・カメラに向かって色々ぶちまけるのは皮肉が効いてて良いですね。