文章リハビリ

この世はクソファッキン  だけどこの世はAll you need is love. (映画と本と音楽の感想と雑記のブログ)

結婚について

実は私、前職も現職も結婚式に関わる仕事に就いております。現場のプランナーだとか、サービスとかそういった仕事ではないのですがとにかく密接に関わっております。

そんな私ですが、参列者として挙式を経験したのは去年の夏が初めて。そして披露宴に出席したのはつい先日、10月19日が初めてでありました。とある京都の会場でのパーティだったのですが、ものすごく感動した。深い知り合いというわけでもないけれど、新郎新婦どちらも知っていることもあってか、ものすごく感動し、スピーチやら何やら、クライマックスでは泣いておりました。周りには気づかれないように、できるだけ静かに泣いておりました。

そして私は何というか、結婚することの意義というか素晴らしさというか、なぜ結婚式をするのか、みたいな事に自分なりの解釈を見つけたのでここに記そうと思います。

 

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自分のパソコンについて

今の仕事に就いた理由だ、とも言えることだが、素人レベルながら文章を書くこと自体は好きで、なんとな~く文章を書きたくなった時にこのブログは便利である。日記帳にでも書けばいい内容だけど、「もしかしたら誰かが読んでくれるかも」という気持ちは事実モチベーションになる。

 

さてタイトル通り、自分のパソコンですが、今ブログを書くためにも使っているこのパソコンはゲーミングPCです。たぶん2年前くらいにファイナルファンタジー14にハマり、購入したのです。当初はお試しでとりあえずPS3で始めたものの、あまりにも処理が重く、不便で、まともにゲームを楽しめず、ハマるにつれてパソコンが欲しくなり購入。

しかしその後、ファイナルファンタジー14に飽きて以来まともなゲームをプレイしていない為、そのスペックを全く発揮出来ていない。だもんでたまにもったいなく思えて、何かゲームでもやろうかと思うのだけど、結局持ち前の飽き性が発揮されて全然続かなかったり、そもそも腰が重くてゲームソフトをインストールすらしない。なんともここ2年ほど、集中力が無くなっていて、ひとつの事が続かない。映画ですら、途中で観るのを辞めてしまったりする。

眠くなったり、そもそも以前より時間が無かったりと理由っぽいものはあるにせよ、結局のところただ単に集中力が欠けている。原因は不明だけど、以前の記事でも書いた通り、感動する心が減衰しているというか、すり減っている感はある。映画や音楽から受ける衝撃やら感動で人生を生き延びてきた部分もあるので、正直に言うとこの状態はよろしくない。

生き延びてきたというと大げさだけど、そういう感じのニュアンスであることは事実なのです。(以前の記事を書いた時よりは回復傾向にあると思うが・・・)結局のところ、ひたすら観続けるしかないんですけどね。ネガティブに言うとそれくらいしか日常の楽しみは無いし、ポジティブに言うと映画や音楽自体はやはり大好きだし。

 

本題がぶれまくっておりますが、要するにせっかくのゲーミングPCがもったいないなあという話です。今の使用状況はもうこれ、ラップトップで良いレベル。映像編集やら音楽編集でもやるかなあ!下手くそながらギターを7、8年やっているわけだし、録音とかもしてみたいとは思うしなあ!

 

余談ですが、1ヶ月ほど前からApple Musicを利用しています。魅力的なプレイリストがたくさん提案されるので、これお勧めです。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年/村上春樹(2013)

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Color my life with the chaos of trouble

 

村上春樹の長編小説最新作を読みました。
たぶん、2013年に本屋に並んでるのを見て買ったんですが、読まずに放置しておりました。

 

正直、僕にとっては全然面白くない作品でありました。
難しいことはわからない(わかりたいけれど)僕にとって、村上春樹の魅力はなんとも言えぬファンタジー感、そして冒険感でありました。「羊をめぐる冒険」や「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」などの僕が好きな作品はまさにその魅力に満ち溢れておりました。しかし本作はファンタジー感はまだしも、冒険感は欠けていると感じました。主人公は生活環境やら、収入やら、地位やら諸々特に不安の無い男で、有給休暇を取ってただ単にフィンランドに行くだけであります。おまけにその旅行の手配も全てガールフレンドが行い、挙げ句の果てには現地でも現地の女の子に面倒を見てもらいます。村上春樹の作品は本当に主人公にとって都合の良い女性が次々登場しますね。まあ、「羊をめぐる冒険」の内容もうろ覚えなんでこんな感じだったかもしれないですが・・・。

まあそもそも、この主人公の悩みが理解できないんですけど、それを言ったら元も子もないですよね。しかしフラれたくらいで人生終わりみたいな顔されましてもね~。それくらいじゃ人生終わりませんって。

勝手にふるえてろ/綿矢りさ(2010)

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私が胸に赤いふせんを付けていただけで、私を見つけてくれた人。

 久しぶりに読み返しました。3回目か、4回目くらいですかねぇ・・。当ブログでも何度か取り上げていますね。とりあえず感想を書いていこうと思います。

まったく他の方のレビューを読んでいないのでアレなんですけど、この主人公は評判悪いのですかね。どうなんですかね。僕は、好きとは言わないですけど、嫌いじゃない、というか嫌いになれない、というか、憎めないです。確かにこの主人公、「いやそれ、自分が悪いやん」系のキャラクターだと思うんですけど、何でしょう、憎めないんですよね。「ジェイン・オースティンの読書会」の女どもは駄目で、何でこの主人公はOKなんだ、とおっしゃる方もいるかもしれません。確かにそうなんですよね。けどね、「いやそれ、自分が悪いやん。けどまぁ、気持ちもわかるよ」って思わされてしまうから、それで良いんですよ。
主人公の論理というか言い分って、最もらしく言ってるけど、破綻してるところもあるんですよね。「ニ」に対するイチャモンとかね、正直苛立ったりもするわけです。けどねぇ、なんでしょう、いい歳して孤独な人って、こんな感じだと思うんですよ。こんな人いると思うんですよ。自分にとって大事なものが、ものすごく大事で、それを大切にしてる自分こそ正しい、みたいな思考展開って、あると思うんですよね。自分に近いなぁとか思っちゃう部分もあるわけですよ。全く、説明になっていませんね。けど、ギリギリのところで、この主人公を僕は憎めません。こういう女心もあるのかなって思います。
そいで、綿矢りさは、やっぱりハッとするような文章を書きますね。本作も、書き出し面白いですよね。蹴りたい背中も素晴らしいと思うけど。「私が胸に赤いふせんを付けていただけで、私を見つけてくれた人。」ってところは久々に読んで、ほんとハッとしました。イメージみたいなものがパッと目の前に浮かぶというか。あの感じですよ。
そういえば綿矢りさの作品、新しいのいくつかを読んでいないなあ。買っておいてあるのもあるんですけどね。

キャッチャー・イン・ザ・ライ/村上春樹(2003)

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ライ麦畑をやってくる誰かさんを、誰かさんがつかまえたら」

キャッチャー・イン・ザ・ライ」を村上春樹訳で読みました。他の訳は読んだことがありません。
さて、本作の主人公のホールデンは、ことあるごとに周りの人々を馬鹿にしてコケにして吐きそうになり、うらぶれた気分になります。自分はここまでひどくないにせよ、何となく身につまされるものがあり、その一方でホールデンは惨めな奴だなあと度々思い、それがまた、結局のところ身につまされる作品でありました。まあ僕はホールデンよりもモテないんですがね。
わりと面白く、楽しく読んだのですが、衝撃とか感動とかそういったものはありませんでした。

生存報告

更新をしなさすぎて、またしても広告が出るようになりましたので定例の生存報告です。

どうにか転職をしまして、相変わらずなんとかサラリーマンをやっております。

観に行きたい映画やらなにやら、あんまり観れておりません。

とりあえずは11月のジーザス&メリーチェインのライブはどうにかして行きたいところです。

それにしても夏はやはり辛い。

またしても恋に敗れた男の物語

またしても失恋したのですが、私はどうしたらよいのでしょうか?

恋におちたら/サニーデイ・サービス」を聴きながらデートの待ち合わせ場所に向かっていた頃の、つい先日までの自分が懐かしいです。デートの情景や、日々のやりとりが走馬灯のように頭のなかを巡っています。

しかし今回は諦めません。

2015.08.14追記

諦めがつきましたので、これからはWreckless Ericが歌い、Proclaimersが歌い継ぐ名曲「Whole Wide World」の心意気で生きて行こうと思います。